土佐で興った初期大和王権の国家構造を様々な角度から論証していきます。
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日本神話の神世七代『ウィキペディア(Wikipedia)』は、おそらくは七曜であり、一般的に曜日『ウィキペディア(Wikipedia)』が密教によってもたらされたというのは間違いであると思います。
おそらくは初期大和王権つまり邪馬台国にはミトラが入ってきており、第六天の土(泥)が神聖視された痕跡があります。この信仰は日本においては古墳時代を通じて埴輪として表現されましたが、その後急速に衰えていきます。(つまり古代バビロニアの思想がなんらかの宗教の形をとって紀元前後には既に入ってきていたということになります)
イスラム教ではアズラエルがアダムを創ったともされ、アズラエルは土の神なので、神世七代とは恐ろしく一致します。キリスト教では後の異端排斥で死を連想させるもの(死ねば土に還る)を全て追放しましたので、土の思想が失われ、土=悪=サタンとして定着しました。(ここにイスラム教とキリスト教の対立の根源があるでしょう)
しかし、古代ローマのサトゥルナリア祭で大地(土)の神サトゥルヌスを祝っていたように、土=悪=サタンの考え方は、キリスト教が求心力を強めていく中で醸成されていった社会通念であったことがわかります。
神世七代の時代こそ、まさに初期大和王権の時代であり、このブログでも紹介したような汽水域を神聖視する第六天信仰全盛の時代であったのです。これが土佐の『土』と密接に関わっているのです。
土=悪=サタンのキリスト教思想が日本に伝来するとともに土佐封じ込めの思想が完成され、国譲りの神話が構築されたんですね。
ということは日本人こそ、イスラム教とキリスト教の問題を客観視できるわけであり、両者を和解させる思想を持っているということになります。
キリスト教の問題は、異端を生み出すことによってサタンを悪とみなし、それをイスラム教とみなしてきたことに問題があり、イスラム教の問題は、文明を奪われた憎しみと十字軍の記憶が絶対神を生み出していることに問題があり、本来は両者はひとつであり、土(土曜日)の思想を取り戻せばひとつになることができるのです。
土佐一之宮のシナネ様は風の女神で、東の水神、南の土神、西の日神とセットで認識されます。それに雲をかけることによって風を吹かせないようにするメタファーが『出雲』の語源になっています。
北の風の女神は、675年に草薙剣を献上させられ
東の水神は、浅間信仰の勧請とされてますが本質がまるで違う三体妙見ですし
西の日(火)の神は、東に向かってスフィンクスのように咆哮する日本初の天満宮ですし
南の土の神は、真の三位一体信仰を伝承する石土(いわつち)神社ですし
これら四神に囲まれた中央の内湾には古代、四国の2大山である剣山と石鎚山から川が流れ込んでいたのです。そしてその形は子宮型であり、その中央部に潮満珠を連想させる神功皇后伝説の玉島が浮かんでいるのです。
しかも東の水神付近の平野は、弥生後期に爆発的に人口が増えた痕跡があり、田村遺跡群などは弥生後期では最大の規模を誇る大きさの遺跡です。しかもこれは空港建設に伴う一部を掘り起こしただけに過ぎず、周辺部の散発的な遺跡と統合・分析すると、とてつもない巨大遺跡が浮上してくるのです。
戦国期の天下統一の推移を見ましても、日本全土を掌握するような首都が日本海側にできるなんてことは、地政学的に見て不可能であり、黒潮を掌握していた集団が古大和王権の母体であったことは確実であると思います。
また、瀬戸内の制海権を掌握できない畿内が単独で王権を確立するなんていうこともほぼ不可能で(後年、藤原純友の乱でそれが証明されている)、畿内への王権委譲には四国瀬戸内の勢力が絡んでいることはほぼ確実だろうと思われます。
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