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多民族国家大和

土佐で興った初期大和王権の国家構造を様々な角度から論証していきます。

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四国山中の三位一体思想

ご無沙汰しておりました。

先日、土佐山間部の若一王子宮に行っておりました。素晴らしい神気でした。

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祭神は、イザナギ・イザナミ・アマテラスで若一女形の正統派です。

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オガタマの木もありました。みよしの吉野は、ほぼ間違いなく徳島の吉野でしょう。



立田社は珍しいです。天武天皇が何かを恐れるように必死に祀っていた龍田の風神。この若一王子宮から南に下った土佐国一之宮はシナネさまと呼ばれます。”シ”は風ですから、ここの龍田は土佐神社と深い関わりがあるでしょう。

しかし、土佐神社境内の右手奥には神明社が置かれており、西御前は左手に移管させられています。

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にぎにぎしく栄える、花の咲くように栄えるというのは素晴らしい表現。結んで開いて♪の歌のようですね。


参道には一の鳥居付近に夫婦杉、参道中間に孕(はらみ)杉、そして境内への入り口に親子杉がありました。つまりこれは修験道ですよね。

もちろん若一王子自体が熊野修験なので言うまでもないですが、この父・母・子の三位一体思想は熊野というよりも石鎚山系です。

南の浦戸湾には孕(はらみ)という地名があり、地震前にジャーンという怪音が鳴る事で有名です。つまり、この若一王子宮の開基は、石鎚山が開けれた弥生時代、浦戸湾が孕まれる太陽信仰の時代と同じほど古いということになります。

創建は12世紀とされていますが、近くの日本一の大杉・縄文弥生遺跡・棚田を鑑みると12世紀以前に神社が存在していたのは確実です。神主さんに聞きますとあまりよくわからない様子でしたが、明らかに大和朝廷系ではなく邪馬台国系の神社です。

こんな山間部だからこそ残されている貴重な遺産です。

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